事業用太陽光発電ならもしもの時には非常用コンセントで安心ブログ:2018-4-11
私は、農家の三女として生まれた。
両親はさぞかし男の子を期待していたことだろう。
農家の嫁でありながら、男の子を産めなかったママ。
私が、もし男だったなら、
ママにはもう少し明るい人生があったかもしれない…
物心ついた頃から、私は祖母のそばにいた。
祖母はいつもママの悪口を言っていた。
幼い頃から聞かされていたので、私もママがきらいだった。
汚い、臭い、気がきかない…そういった言葉だった。
私が小学生の時、学校からの帰り道、
今にも大雨が降り出しそうな午後だった。
遠くに人影が見えた時、嫌な予感がした。
だんだん近づいて来る…
やはりママだった。
「わあい、お母さんだ」
喜んでかけ寄り、かさを受け取る…
それが普通の息子の姿だろう。
「はい、かさ!」
私は、無言でママからかさを受け取った。
ママは、姉貴たちのかさも用意していて
私とは反対の方向の学校へ向かっていった。
そのことが私にはせめてもの救いだった。
ママと並んで歩いて帰るなど、ぜったいに嫌だったのだ。
「今の人、お母さん?」
友達が聞く。
「うん」
私は、それ以上何も言いたくなかった。
もんぺ姿のママを友達に見られたことが、
ずっしりと重くのしかかっていた。
ママはいつももんぺをはいて、汚ない格好をしていた。
ママはおしゃれな服など一枚も持っていなかった。
服を買うためのお金がないことも、
私は息子ながらに知っていた。
私が目覚めた時、ママはすでにもんぺ姿である。
私が眠りにつく時、ママはまだもんぺ姿である。
もしかしたら、寝る時も、
もんぺをはいているのではないかと疑ったこともある。
ママのもんぺは、赤い模様があったが、
色あせて疲れているようだった。