事業用太陽光発電の価格比較なら一括見積もりサイトブログ:2017-4-26
僕は両親と離れて住んだことが今までない。
生まれた時から僕が21歳になるまで、
一番長い時間離れていたのは
僕が修学旅行に行った時の5日間ぐらい…
特に、
僕とお母さんの関係は特別で、
僕のお子さんの頃のあだ名は
「お母さんのしっぽ」だった。
ただの一秒も
お母さんのそばを離れないということから、
誰かが私につけたあだ名だ。
だが、僕も年を重ねると、
お母さんのそばにいつも一緒にいるのは
だんだん難しくなった。
学校の授業、仲間との遊び、サークル活動、バイトなど
僕とお母さんの間にはいろんな邪魔者が増えてきた。
そんな中…
僕の1年間の交換留学は、
両親にとって「衝撃的なニュース」であった。
自分の女の子が外国で暮らす…など
想像もつかないことだった両親。
しかし、
両親は笑顔で僕に「さようなら」を言った。
別れの時、僕は馬鹿みたいに空港で、
「わああんわああん」
声を出して泣いてしまった。
父はおととし退職。
貧しくはないが、決して裕福ではない家庭、
これが僕の家庭だ。
また、今まで離れて暮らしたことない女の子を、
外国に送り出す両親の心はどうだっただろう…
彼らも心の涙を流したはずだ。
飛行機の中で僕は決意した。
これから、一人で立ってみよう。
両親に絶対心配をかけない。
そこで、考えたのは
自分の生活費は自分で稼ぐこと。
僕には何も言ってくれないが、
父も退職したことだし、
きっとお金の問題があるはずだと思って
バイトをすることにした。
バイトができる資格証をもらった後で
僕はすぐバイト先を決めた。
ホテルでのバイトとレストランでのバイト。
二つのバイトは簡単ではなかったが、
生活費には充分だった。