事業用太陽光発電の価格比較なら一括見積もりサイトブログ:2018-7-20
四畳半程度の広さだが、
小松菜やほうれん草がとれ、トマトやナスを育て、
シソやミツバが食べられる我が家の家庭菜園は魅力に溢れている。
さわやかな日差しを浴びながら、
奥さんと一緒に虫や草をとり、
若苗の間引きなどをしていると…
「雑草を恐れるな」
突然、二階のベランダから母の声がした。
御歳九十三、認知症が少し出ているが、
しゃきっとしたもの言いに、
ぼくは「分かった」と見上げながら答えた。
「まだ本当の百姓ではない」
ぼくの手つきや野菜の育ち具合いを見てのさらなる声。
「野菜は同じところに作るな」と
忠告も飛んでくる。
ぼくは「はいはい」と返事をしながら、
久々に力が入っている母を微笑ましく思った。
五年前、母の調子が少し崩れかかったときには、
猫を飼って凌いだ。
母が生きていく上で必要なのは、
毎日の具体的な世話と思いやる心を
取り戻してもらうことであったから…
「畑をやればまだ長生きしてもらえるかも」と奥さんが言うので、
ぼくが「降りてきて畑をやらないか」と大きな声で誘ったら、
母は「それは無理」と小さく言って顔を引っ込めてしまった。
信州の農家出身の母。
その母の口癖が、
「あの山の向こうに行けば田舎がある」だった。
山とは、ベランダから見える小高い公園の雑木林だった。
父親が亡くなって二十五年。
この頃、母の気持ちはさかんに実家へと向いている。
ふるさとを「魂の休まるところ」と理解すると、
母の心情がよく理解できた。
最近
「体調、体力を見て実家へ母を連れて行こう」が
ぼくと奥さんの合言葉になっている。